★ 禿げ河童…… <親しみ>と<哀れみ>を……2010年12月05日 12:08

 ちょうど一年前、JustBlogに載せた記事を見てみた。今日は、日曜日だが昨年の12月5日は土曜日…… (平年の場合、曜日は一つづつずれ、うるう年の場合は、二つずれる。来年の12月5日は、月曜日になる)
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2009年12月 5日 (土) ~ 6日(日)
 『仲間から寒いだろうと禿げ河童』
 河童とは、もともと禿げているように思われがちだが、実は、あれは「お皿」であり、禿げているわけではない。お皿の周りには、頭髪が生えており、これが正常なる河童の姿なのである。

 ある日、Goecheは、風呂から出て洗面所で鏡を見ながら体を拭いていた。何故か、そこにカミさんが現れ、Goecheの後に立ったのである。そして、呟いた。
「禿げ河童……」
 ん? 何だそれは? 河童だけであれば、特に言うことはない。事実、Goecheの頭の天辺は、河童のお皿のように禿げているのであり、河童と言われても致し方ないのである。しかし、河童の前に「禿げ」が付いているのである。Goecheは、振り返りカミさんに問うた。
「禿げ河童とはどういうことなのだ?」
「あら、そのままよ。禿げてるお皿の周りも禿げちゃった河童……」
 Goecheは、黙ってしまった。
 以後、この「禿げ河童」との呼称に、なんとGoecheは、<親しみ>と<哀れみ>を感ずるようになったのである。多少、くどいかも知れぬが、禿げ河童に関する川柳を……

 『寒風にくしゃみしきりの禿げ河童』
 『頬被りしても震える禿げ河童』
 『禿げ河童諦めきれずに養毛剤』

 「禿げ河童」をYahoo!やGoogleでを検索してみた。 出てきたのは、「カッパ禿げ」、「カッパハゲ」、「河童ハゲ」…… Goecheは、この様な言葉を知らなかった。日本語俗後辞典なる辞典では、

<カッパハゲとは、頭の最上部が丸く大きく禿げていること。またはそういった形の禿げ頭やそういった形の禿げ頭をした人のことである。これは、この形の禿げを河童の頭頂にあるとされる皿に例えたものである>

と説明していた。
 間違えてはいないと思うが、他の検索結果の大半は、哀れみ的であったり、笑える姿的な内容であった。良いではないか、そう思うのなら。しかし、河童の頭を笑ってはいけない。何故ならば、彼らは皿がなければ生きてはいけないのであり、しかも常に濡れていなければならないという宿命を背負っているからである。少なくとも河童の頭を笑ってはいけない。で、他のページには、こうあった。

<河童ハゲとは、フランシスコ・ザビエルの頭を想像すれば理解できる。そもそも坊さんが剃髪したり、修道士達が頭を丸く剃るのは、俗世間から離れ、神仏にその身を捧げる証し>

 このような崇高な気持ちからでてきた行為の結果を、これまた笑ってはいけないのである。と書きつつ、ふと川柳が浮かんだ。

 『剃らずともすでに立派な修道士』

★ 素晴らしき俺の脳味噌……2010年12月05日 15:26



 友人に、こんな事を話すことがある。
「俺の脳味噌は、素晴らしい。抜群な能力を持っている。優秀なんだな、俺の脳味噌は……」
 たいていの友人は、顔をしかめる。さらに追い討ちを掛ける。
「君も素直に俺の脳味噌の素晴らしさを認めた方が良い」
 彼は、こいつの頭は少しおかしいんじゃないか、と呆れた顔をする。  
 この辺で良いだろう。一言、つぶやく。 
「ただ、使い方が判らん」

参照:『アマデウス

★ Mona Lisa は、Leonardo da Vinci の自画像……?2010年12月06日 11:08

 レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像を見ていて、『 モナリザは、彼の自画像』 だと言う説を思い出した。

 1974年に某イタリア系企業が、東京国立科学博物館で 「科学者レオナルド・ダ・ビンチ展」を開催した。その時のカタログに、モナ・リザの写真の上に、レオナルドの自画像を印刷したハトロン紙を重ねたページがあった。なるほど! そう言われてみれば…… と驚いた記憶がある。あれから36年が経ったが、今はPCという便利な「道具」がある。試したくなった。

 まず、レオナルドとモナ・リザの画像を用意し、ほぼ同じサイズにする。レオナルドは、やや左向きで、モナ・リザは、やや右向き。女性の方に敬意を払い、レオナルドを左右反転させた。透過度を50%として モナ・リザに重ねた。 ほぼ確実にモナ・リザは老けたのである。昔の感激が甦った。やはり、この説は正しいのではないか。

 モナ・リザは、誰か? については、いろいろな説(フィレンツェの娼婦と呼ばれたり、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザだと言われたり……)があるが、自画像説に賛成できる点が、もう一つある。
 同じ人間が描いた「やや右向き」な絵と「やや左向き」な絵が、片方を左右反転すると、ピタッと重なることである。左右反転と言えば、彼の得意な鏡文字もある。とにかく脳味噌の使い方を充分に心得ていた天才であり、当然ながらナルシスト的側面も持っていたはずである。さらに一生独身であった事などを考えると、自分の女性的な面、または自分が理想とする女性(母親かも知れない……)を自画像として描いた可能性は充分にあると思う。
 もしも、あの絵がレオナルド・ダ・ヴィンチの自画像だとすれば、モナ・リザと呼んではいけないのだが……
(Home Page の「レオナル ド ダヴィンチとモナ リザ」にアニメーションGif を掲載している)



★ 「さようなら、人類。」 ある Gorilla の twitter ……2010年12月11日 10:30

 ひょんな事で友人が下記画像を送ってきた。40年程前に評判になった新聞広告である。著作権者の許諾を受けていないが、ちょっと長い全文を載せてみた。
 果たしてGorillaは怒っているのだろうか? そのイメージ画像を最下段に載せた。
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さようなら、人類。 Good bye,Human being.
 制作=細谷巌 朝倉勇 小林正明  毎日新聞1971年9月24日

「ゴリラは、やがて地上から消えます。」
「森の王者」であった私たちゴリラも、絶滅は恐らく、もう時間の問題でしょう。あなたがた人類がどんなに私たちを保護しようとしても、もう、遅すぎます。
あなた方の「文明」が、私たちの生活の場「森林」を、狭めてくるからです。「文明」は、長い間にわたって私たちを撃ち、生け捕りにし、剥製にしました。
(ゴリラが、かつてあなたがたの生活を、一度でもおびやかしたことがあったでしょうか)
進化した哺乳類で、ゴリラほど平和を尊び品位を誇りとしてきたものはありません。集団間の親密さ、互いの思いやり、デリケートな心づかい。それらはゴリラの特性です。人類のように他の動物を食べたり、同族同士で殺し合うような野蛮なことは、考えたこともありません。それがゴリラの伝統でした。誇りでした。
この点で私たちは保守派でした。自然を尊び、平和を愛しすぎたのです。とどまることを知らない進歩派の人類に駆逐されるのも、仕方ないことかもしれません。「自然」は、科学文明の乱暴な挑戦には勝てません。もっとも、もっとデリケートな、バランスを保った「生きもの」だからです。
 
「遠い昔は親戚でしたが・・・」
あなたがた人類の祖先と、私たち類人猿とは、地上で一番近しい間がらにあったのではなかったでしょうか。しかし、いま一方は増えて栄え、一方は減り、滅亡の寸前にあります。人間の弱小民族も、かつて似たような運命にあったことを、いま私たちは思い出します。これが運命なのでしょうか。歴史の必然というものなのでしょうか。地上の正義は、結局「力」なのでしょうか。
私たち(ゴリラ)の目を見て下さい。私とは実はあなたです。人類の反映なのです。ついに言葉を持たなかったゴリラの目から、私たちの心を読みとってください。
 
「人類よ、もっと聡明に」
「文明」を、あなたがたも考え直すときがきています。「文明」は必ず、あなたがた自身を追いつめる、容赦のない「敵」となるでしょう。たとえ月を往復する能力があっても、毎日の生活をもっとうるおいのある、心ゆたかなものにできないなら、それは果たして知恵でしょうか。
病院には病人があふれていますね。空でも、地上でも、海上でも、ひっきりなしに衝突事故がつづいていますね。考えが気に入らないといって、他国にまで兵を出し、人を殺し、森を焼きつくしていますね。
これはゴリラの嘆願でも泣き言でもありません。やがて地上から姿を消すものの、愛のメッセージです。優しい心をとり戻し、勝者らしく品位を保ち、立派に生きて下さい。
 
さようなら、人類。
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★ カレンダー・アート ……2010年12月20日 18:33

 カレンダーを用意する時期になった。
 我が家では、メインであるリビングには、teNeues やTUSHITA などが発行する画家シリーズの洋物を購入し、飾っている。今年は、モジリアーニ。来年は、ロートレック…… 勿論、購入するのはカミさんであり、画家は彼女の好みである。で、今年のモジリアーニや以前にお世話になった、ゴッホ、クレー、シャガール、マチス、アンディー・ウォーホール、山本容子さんなどをスキャンし、掲載することにした。悪くない。
 
                  Calendar Art


             日本のゲーム機