★ ケータイ、不携帯……2011年10月16日 09:24

 先日、私は不ケータイであると書いた。
 その後、Facebookに「スマホ」って「スマートフォン」の略語だって言うけど、何故、「スマフォ」じゃないの?」とフィードした。「三文字にしたかったのでは」、「フォが最後にくると、日本語として発音し難いのでは」などのコメントをもらった。多分、それらが理由だろうが、どうにも気に喰わない。今後は、スマホと呼ぶほうが多くなるはずである。であれば、スマートホンと書けば良い。
 コメントの中には、「実はスマートフォンに少し興味があるとみた」との勘違いもあった。改めて言うが、必要性を感じてはいないのだから興味などない!のである。仕事においても然り。緊急性を要する仕事に就いた事がないのでは? 誰にとっても大同小異だが、ケータイを持っているから連絡するのであって、連絡が取れなかったとしても、世の中がどうかなっちゃうなどという事はほとんどないのである。
 私的な部分においても、あ~、ケータイを持っていれば、と思ったのは、たったの一度しかない。ある女性と新宿南口で待ち合わせたが、時間になっても彼女は来ない。一時間。おかしい。諦めかけた時に、憮然とした表情の彼女にバッタリ。聞けば、予約しておいた「KIHACHI(今、新宿店はない)」で待っていたという。では、今から…… 彼女、「ずーっと一人で座っていて情なかったし恥ずかしかった。もうあそこは嫌!」 それはそうだろう。「携帯電話、持ってればこういう事にはならないのに!」 チクンッ! で、別の店に。アルコールが進むうちに彼女が泣きだした。聞けば、結婚を前提に何度か会った将棋のプロ(結構有名な棋士)の申し出を断わったという。良い人で好きなんだけど、やはり違う世界で育ったためか、微妙なところで感覚、考え方にズレがある。一緒になってもこのズレはそのままだと思う。これではやっていけない。好きだけど結婚は無理だと思ったとのことだった。蛇足ながら、その後、彼女は一般人と結婚し、お子さんもできて幸せな毎日を送っているそうである。話が、かなり横道にそれてしまった。

 ケータイの必要性? 外回りの仕事、緊急事態の発生が充分予測される場合(あえてここでは書かないが滅多にない状態)においては必要性はあるだろう。だが、その場合も電話機能だけで充分である。ながら歩きや、交通機関の中で金太郎飴の如く、ケータイに夢中になっている連中を見ると「玩具」に戯れる阿呆と言いたくなる。そう、オモチャ、遊び道具としての必要性なのである。

 とは言え、どれ程の人がケータイを持っているのだろうか?
 グラフが示すように、普及率は 93%である。
 ついでに契約数は?
 (社)電気通信事業者協会(TCA)によると、携帯電話・PHS 契約数合計(2011年09月末現在) 127,281,000件
 ところで日本の人口は?
 2010年10月1日現在の国勢調査速報値によると、128,056,026人
 面白い事に、人口と契約数がほぼ同じなのである。人口に対する契約数率は、99.4%である。(人口には、ケータイを使えない幼児なども含まれているため実質的には無意味な数値だが)

 ま、いずれにしてもケータイを持つのが、一般人にとって”普通”になっているようなのである。であれば、私は、普通ではないのかもしれない。しかい、お陰で、”阿呆”にならないで済んでいる。

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