★ 解読困難な自分の日記……2016年10月15日 07:58

 「文通ブーム」手書きの温もり、返事を待つワクワク感……と伝えるページがあった。フムフム、イイね~ 手書き、文通が青春時代だった。好きな人に書く手紙(所謂、ラブレター)は、大変だった。何度も下書きをして、清書をするが、字を書き間違えたりすると、その度に便箋を破き、書き直した。手軽に修正などできない時代……  その頃からだと思うが、「字を書く」喜びが身についた。今も、朝日新聞「天声人語」の筆写や、気が向いた時には日記をつけている。そういえば、結構長い期間、日記をつけていた。
 日記…… 記録として毎日の出来事や食事などを記す人、いずれ他人に読まれることを想定し、エッセイっぽく書く人(自分用の本心日記が別にあったりするが)、喜びや悲しみを吐露したくて文字に託す人、ただ何となく何かを書きたくてペンを持つ人…… ま、どうであれ、自分の意志で自分の事を書いていることには変わりはない。


 この画像は、1972年5月23日と31日、26歳の時に書いた44年前の日記である。たまにだが、何冊もある昔の日記帖をめくることがある。このページを見て驚いてしまった。な、なんだこれは? なんて字だ! 読めないではないか。この日の前後を読んでみたが、内容は相も変わらずグダグダ、ブツブツ、他愛のないボヤキ事ばかりが書かれているだけで、特に大きな問題や、自分にも他人にも、別に隠さなければならないような事などなかったようなのである。でありながら、何故、こんな書き方をしたのだろうか。前半(紗を掛けた)部分は普通の字であるが、徐々におかしな状況になっていく。おふざけだとしても度が過ぎている。もちろん、後で読み返すかも知れないなどとは毛頭思っていなかったはずである。なにか鬱屈した状況にあり、鬱憤のはけ口として書きなぐったのだろうか。いずれにしても、そんな自分がいた。改めて自分を振り返ってみると、なんとなく鬱屈した状態は今も続いているように思える。日記とは、「己を映す鏡」と聞いた事がある。一応、中身を解読するつもりではいるが、あまり重要性は感じていない。しかし、そんな自分が居た。日記って面白い! 

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