★ 日記に思う……2014年06月28日 08:41



 ふと思い立ち、昔からの日記帖を何冊か引っぱり出してみた。2,3種類の日記帖を同時期に使う癖がある。その時の気分で日記帖を選ぶのである。(併せて万年筆も)
 その中の一冊…… 日付を見ると40年ほど前から使っている日記帖(写真左)なのだが、糊付けされているページが何か所もある。どうやら、結婚後に糊付けしたようである。多分、もう読みたくない、いや読まれたくない内容なのだろう。読まれたくない? 誰に? 言うまでもない人にである。もちろん、他人の日記帖を読むようなお方ではない事は判っている。(関心など持っていないとも言えるが) では、読まれるとしたら? お隠れになった後、資料の整理中に、ふと気まぐれに読まれてしまう。イイではないか、もうこの世にはいないのだから、とも思うのだが敢えて糊付けしている。そもそも、隠したいような事などあったのだろうか? どんな事を書いたのだ? どうも思い出せない。手が届くところにペーパーナイフがある。上手くやれば剥がせないことはなさそうだ。どうしよう、と思いつつ他のページをパラパラとめくってみた。ん! まさに己も読み返したくない記述があった。もちろん、読まれたくない記述である。これこそが糊付けではないか。いや違う。破棄すべき内容である。生まれて初めて、日記帖のページをカッターナイフで切り取り、細かく切り刻んで破棄した。で、糊付けページだが、切り取った内容に比べれば、取るに足りない秘密であるに違いない。剥がすのを止めた。
 他人に読まれることを想定して、日記を書く人が居ると言う。また、自分用とそれ以外の2種類の日記を書く人も居ると言う。どうであれ、書けば残るに決まっている。キーボードで綴った日記も、物理的削除をしない限り修復可能である。書きたければ書けば良いのだが、己の考え方や感じ方は変化する。当然、記述した内容に対する思いも変化する。ひょんな事で他人に読まれ、気まずいことになることもあるはずだ。お隠れになった後、顰蹙を買うこともあるかも知れない。もっとも、どう誹謗されようが、本人が知る由もないのだが。
 ところで、日記など書いて何になるのだろう。著名人であれば、後の研究資料として役に立つだろうが、一般人には関係ない。では著名人は、後の研究に役立ててもらおうと書いているのだろうか。たいした自信である。何があったか、記録しておきたい。ま、これは手帳で済むと思う。
 辞典によれば、日記とは「自分の出あった出来事や感想などを一日ごとに書いた物」とある。「一日ごと」との文言が気になるが、「感想」との文言に、書く人の個性の露呈を感じる。出来事の記録だけでなく、書く人の内面をも記述するもの…… だから、扱いが難しいのだが、書く人にとっては「話してスッキリした」的な雰囲気になる事もあると思う。だからではないが、昔のページを読むと、やたら高揚した気持ちで書かれているのにもかかわらず、詳細を思い出せない事が多い。つまり、その時に盛り上がっただけで、大したことではないのだ。
 くどいようだが、なぜ日記など書くのだろうか。頭の中でぶつぶつ考えているだけでなく、書けば落ち着くから。今の気持ちを書いておきたいから。とにかく万年筆で文字を書きたいから。なかには子供や孫など、子孫に己が存在していた事を知ってもらいたいから。知ってもらって何になるのとも思うが、この気持ちはなんとなく理解できる。回顧録のネタとして。政治家だ。エッセイを自費出版したいから、そのネタとして。よくある定年後の企て…… 
 なんとなく日記には、2種類あるように思えてきた。第一、暦日に出来事を記述する。第二、その時に感じたり、思ったり、考えたり、喜んだり、悩んだり、悲しんだりしたことを書くことにより整理整頓する。または捌け口として記述する。この場合、感情移入が激しく、ややもすると支離滅裂っぽくなる事が多いように思う。読み返して、これは何なんだ?は、ほとんどがこの部類だと思う。
 とかなんとか、取り留めもまく、まとまりもなく書いている。きりがない。ま、こんな内容も日記の一種かも知れない。

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