★ 初詣とお稲荷さん…… ― 2017年01月03日 08:07
元旦というと、子供の頃、早朝の寒いなか、親父に連れられて始発電車での初詣を思い出してしまう。最寄り駅は、西武池袋線石神井公園駅だった。当時、親父は自転車で駅まで通っていたが、何故か、元旦は歩きだった。40分ぐらいかかったと思う。明治神宮も寒かった。その後、靖国神社に行く。親父に聞いた。「なんで、こんなに早く行くの?」「この時間が、一番空いてるんだよ」「なんで二つ行くの?」「お爺ちゃんが、そうしてたからなんだよ」子供心に「ふ~ん、そうなんだ……」との思いだった。親父が逝って数年は、仕来たり通りの元旦を続けた。たまたま体調を崩し、初詣をできなかった年があった。ちょっと気になったが、今まで通りの一年であった。無理して初詣に行かなくてもイイのかな……
今年も、実家でささやかな元旦を祝った。帰宅途中に氷川神社がある。
小さな神社だが、長蛇の列である。カミさんが折角だからと言い出した。並ぶのか…… ま、イイか。谷原氷川神社である。この神社、子供の頃の夏祭りには屋台だけでなく、舞台が設けられ、田舎芝居が演じられた。「先代萩」を観たが、その理不尽さに心を痛めたりした。そんな事を思い出しながら、ノロノロと…… 善男善女というが、並ぶ人たちに、そんな感じを受けた。世界中の人たちが、こんな感じの善男善女だったら殺し合いも起こらないだろうな~などと青臭い思いも浮かんできた。二礼二拍手一礼、参拝を終えた。
ふと、これからは毎年、並ぶのかな? ちょっと面倒だな、と思った途端、とんでもない事を思い出した。実家には、お稲荷さんを祀った神棚があるではないか! 実家の庭には、両側に狐の像を配置した小さなお社があった。お稲荷さんである。その後、お社が朽ちてきたのだが、弟が実家を継ぐ事になり、一室を一級建築事務所に改造したのに合わせ、事務所内に神棚を設けて祀っていたのである。親父、祖父、曾祖父の代から受け継がれたお稲荷さんである。実家で初詣が出来るのである。あ~、70歳になって気付くとは…… ま、イイではないか。これが己である。いずれにしても、2017年、良い年であってほしいと願う次第である。
★ サザエさん、おみくじ…… ― 2017年01月07日 08:26
朝日新聞土曜版「be」を楽しみにしている。特に、「サザエさんをさがして」がイイ。とにかく、イイ! 今朝の「おみくじ」も、思わず、ん? そうだろうな~と、笑ってしまった。
サザエさんの筆致も、掲載当初から変化している。親父は、新聞の切り抜きを趣味としていた。そのスクラップ帖に、毛筆っぽい肉厚のサザエさんがいる。同じサザエさんなのだが、趣きが違う。敢えて言えば、自己主張の強いサザエさんのような感じなのである。歳を重ねるごとに、サザエさんも柔らかくなったように思う。
話変わって「天声人語」に年長者の呼び方についての記述があった。「准高齢者」「高齢者」「超高齢者」 ま、以前よりは、こちらの方が響きは良いように思う。記述の中に、波平さんが登場する。設定は54歳だというが、70歳前後にしか見えない。昭和20年代の54,5歳のイメージは、波平さんだったのだろう。
たかだか数十年で年寄りは様変わりしている。生まれてから死ぬまで…… その長さの平均は、確実に伸びている。ふと、思う。果たしてその中身は、どうなのだろうか? ひょっとするとゴム紐のようなものなのでは…… ただ、長く伸びるようになっただけで、その密度は薄くなっている…… 名を残した歴史上の人物の享年を知ると、そんな思いに駆られてしまう。インターネットもない時代に、何故、中身の濃い活動ができたのだろうか?
たかだか数十年で年寄りは様変わりしている。生まれてから死ぬまで…… その長さの平均は、確実に伸びている。ふと、思う。果たしてその中身は、どうなのだろうか? ひょっとするとゴム紐のようなものなのでは…… ただ、長く伸びるようになっただけで、その密度は薄くなっている…… 名を残した歴史上の人物の享年を知ると、そんな思いに駆られてしまう。インターネットもない時代に、何故、中身の濃い活動ができたのだろうか?
★ 即席雑煮…… ― 2017年01月11日 15:19
テレビで、「とろろ昆布」は体に良いとやっていた。好きな食材である。早速、スーパーに買いに行った。お吸いものに入れてと探したが、即席は味噌汁しかない。仕方ない、また、スーパーに。以前、即席のお吸いものに焼き餅を入れて食べたことがあるが、なんとなくお雑煮っぽかったので、それを再現しようと思ったのだ。とろろ昆布が入れば、美味しくなるはずだ。とろろ昆布を心持ち多めに入れて食した。美味い! 熱々の切り餅3個を、ハフハフ言いながらまたたく間に喰ってしまった。料理と呼べるものは、まったく出来ない。精々、乾麺の蕎麦やパスタ、レトルト・ソースを湯がき、ねぎを刻んだりするぐらいである。もちろんこれも料理とは言えない。しかし、レパートリーとして、即席パスタ、即席蕎麦、即席ラーメンに、即席雑煮として加えても良いと思った。ちょっとした喜びである。
★ たかがジーンズ、されどEDWIN…… ― 2017年01月12日 09:20
昨年暮れのお話である。ジーンズを履くとき、ベルトをする人、しない人がいる。私は、ベルト派である。ベルト・ループは、そのためにある。それに、ベルトなしだとパンツが下がってしまうことがあるからだ。ここ数年、ロゴ・パッチなどない激安ジーンズを3本ほど買ったが、閉店してしまった。昨年暮れに、ピッタリめとゆったりめのジーンズを2本買った。何故だか、それらはたまたま、EDWINだった。帰宅し、じっくり見た。なんとロゴ・パッチの4辺が縫い付けられている。ベルトが通らない。店で確認すれば良かったのだが、当然、ベルト・ループ状だとの思い込み。とは言え、どうにもスッキリしない。EDWINに電話した。若々しい女性の声……
「以前のEDWINは、ロゴ・パッチにベルトが通せたが現在はダメになった。これは、間違っている。ロゴは、宣伝になる。隠す意味はない。ユーザーは、EDWINですよと、知らせたいほどだ。なぜ、このような愚行デザインをOKとしているか全く理解できない。幹部諸氏に告えろ! マーケティングとは?を勉強し直したほうが良い! 2本のEDWINの写真を撮った。その事実を知らせたい。メルアドを教えてほしい」 送った。丁寧な返事があった。
「弊社デザイン室長へ確認を致しましたところ、①柔らかい素材の革ラベルが多くなってきたこと。②外に見えるステッチが四角になった方がデザイン的に優れている場合。③ジーンズ生地の素材と革ラベルの素材の相性。以上の様な理由で革ラベルを四方に縫うケースが多くなってきているとのことでございました。なお、403、503シリーズは、上下のみの縫い付けですのでご利用ください」
なるほど。ちょっと言い過ぎたようだ。メールした。
「たかがジーンズ、されどジーンズ…… ジーンズは、とにかく丈夫です。あんな事、こんな事、長い間の出来事を共有したのもジーンズです。いろんな思いがジーンズに込められます。そんなジーンズの会社で仕事をする…… イイですね。どうか、良い年にしてください」 嬉しい事に返信があった。「ジーンズに対する想いを拝読し、大変嬉しく存じております」
★ 挿し木した紅梅…… ― 2017年01月24日 12:27
庭の片隅で、己の姿を静かに艶やかに……
背丈は、五尺ほどの小柄な紅梅である。5年前まで練馬区富士見台に住んでいた。駅への道筋にある家の庭で紅梅が、毎年綺麗な花を付けていた。10数年前、道に伸びていた枝、20センチほどを無断で手折り、植木鉢に挿し木してみた。その紅梅は、根付き、毎年、花を付けてくれた。中野に引っ越し、大きくなるのではと地植えにした。今年で、丸五年が過ぎたが、背丈は思ったほど伸びてはいない。だが、小柄でありながら、昨年暮れから咲きだし、しっかりと綺麗な姿を見せている。ひょっとすると、彼女にとっては、この体形が心地良いのかもしれない。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」 とりあえず剪定はしているが、道理に合っているかどうか自信はない。少なくとも、昨年の手入れは、良かったののかも知れない……
★ たかがジーンズ、されどEDWIN……<追> ― 2017年01月25日 12:48
2週間ほど前に、★たかがジーンズ、されどEDWIN……を載せたが、やはりロゴ・パッチが気になる。
冬は、服に隠れるから良いが、春や夏になれば、この部分は表に出る。気になるとどうにも落ち着かない。この性格は変えられない。で、頭をひねった結果が、下の写真である。
左右の縫い目を解けばよいのだが、それではいずれ上下の縫い目も解けてしまう。そこで、黄色の丸印部分を丈夫な糸で補強することにした。計8個所の補強だが、デニムは厚く堅い。針を通すのが大変だったが小型のニッパー型ペンチが助けてくれた。EDWINによれば、デザイン的に薄い革を使う時は、4辺を縫い付けるらしい。たしかに薄めである。いずれ経年劣化で破けるかもしれないが、その時は取り外せば済むだろう。これで心置きなく、春を迎えることができるのである。めでたしめでたし……
★ 52年前の大学受験を思う…… ― 2017年01月31日 10:43
受験シーズンである。自分にもそんな時代があった。過去ファイルを探したら、受験時の資料が数点出てきた。
当時、この国立大学は、二期校だった。一期校と二期校は受験日が異なり、受験生は、二つの国立大学を受験することができた。(現在は、分離・分割方式とかで前期日程、後期日程があるらしく、同じ大学を2度受けることもできるようだ) 二期校の試験は、一期校の結果が出た後だった。一期校は落ちた。であればと浪人を覚悟したが、経験を積むつもりでこの大学も受けた。自然豊かなキャンバスなのだが、何故か野暮ったさを感じていた。
中等教員課程、数学科。これは、中学・高校の数学教員免許を取得できる学科である。この科の募集人員は35名。改めて受験票を見たが、受験番号251とある。受験者はこれ以上だったと思うが、この時点で、倍率は7.2倍。必須受験科目は、数学と国語。その他として世界史と英語、物理を選択した。浪人と決めていたため、合否などどうでも良かった。在校生らが、電報で知らせるとのアルバイトをやっていた。不合格の時は、連絡はいらないと頼んだ。
発表の日、庭で犬と遊んでいたら、通りの向こうに電報配達員がいた。ん? 「オメデトウ」 その電報もファイルされていた。受け取った瞬間、ガラガラガラッ!と頭の中が崩れていったのを覚えている。一年間も浪人することはないだろう。人間とはいい加減なものである。あれだけ冷めていたくせに、この大学に行こう…… しかも、わざわざ大学まで発表の掲示板を見に行ったりした。野暮ったいと思っていたキャンパスの緑が輝いて見えた。
試験日いついてちょっとしたエピソードがある。休憩時間、ふと見るとそっくりな二人が歩いていた。多分、兄弟であろう。弟の方は、どう見ても中学生。どういう事だろう? 入学式で、彼が新入生代表として挨拶していた。なにやらトップの点数だったらしい。彼は同じ科であった。聞いた。「なんで弟が一緒だったのか?」 志望の一期校を落ち、一浪して再度臨んだが、また不合格。かなりのショックで落ち込んでいたらしく、親が自殺でもと心配し、弟を見張りとして付けたとの話だった。そんな彼だが、学生生活を謳歌し、今もクラス会の幹事を楽しそうにやっている。
振り返れば、半世紀も前の出来事である。やたらと懐かしい。なお、蛇足ながら、教師にはならず外資系企業に就職した。