★ 漢字 《谷》 の面白さ……2011年11月17日 10:28

 やはり読むだけでなく、筆写するようになったからであろうか 「天声人語」に感ずる事が多くなっている。今朝は、漢字と言葉についてのコラムであったが、その発端になった漢字は、「谷」であった。
 〔悲しい顔している字〕
 ん? 私の本名には「谷」があるので、筆名を『九谷』とした。このままでは、悲しさが九倍という事になってしまう。読み進むうちに、フムフムと微笑むことができた。
 〔書きようで笑顔にもなる《谷》……〕 

 そうなのである。すべての漢字に言えることだとは思うが、この字は、書きようで実に多様な雰囲気を表してしまうのである。気分が良い時は、それなりの、悪い時には、それなりの表情になる。署名する時、常に一瞬、ためらってしまう。どのような表情の「谷」になるのだろうか…… 書いてみなければ判らないのである。
 いろいろなフォントの「谷」を列記してみた。
 キチッとした谷、力強い谷、ひょうきんな谷、情けない谷、笑っている谷、間の抜けた谷、喜んでいる谷…… 面白いものである。

★ 2012年版 カレンダーを用意する季節……2011年11月19日 07:30

 カレンダーを用意する季節になった。リビングに飾るカレンダーは、カミさんの担当である。先日、カレンダーを買ってきた。今年は、Lautrecだったが来年は、一昨年と同じ Modigliani である。 HomePageに「CalendarArt: http://www.ne.jp/asahi/goeche/kutani/CalendarArt.html」を掲載しいている。早速、各月の絵をスキャンし、来年用のページを用意した。もちろん、2012版は元日に公開する予定だ。

 Modigliani といえば、妻、Jeanne Hebuterne(ジャンヌ・エビュテルヌ)の悲劇を忘れることはできない。Modigliani の絵だけでなく、二人の写真も載せることにした。

 私は、ジャンヌの写真を見るたびに、その魅力に言葉を失ってしまう。もしも、このような女性が目の前に現れたら…… 多分、魂を吸い取られてしまうのではなかろうか。もちろん不可能なことだが、一度で良い、会ってみたいものである。現実としてこのような女性が存在したことに驚異を感じてしまう。同じよう感情を移入してしまう写真がる。Camille Claudel(カミーユ・クローデル)の写真である。彼女の人生も悲劇であった。幸せとは何なのだろう・・・

★ ナベツネ、清武の乱……2011年11月28日 08:47

 朝日新聞:「オピニオン」に、『独裁者と呼ばれて』のタイトルで、読売新聞グループ本社会長・主筆の渡辺恒雄氏の「インタビュー」が、全段サイズで載っていた。
 一瞬、よくも朝日新聞のインタビューに…… 言い訳をしたかったのか? 競合紙であっても構わんとの自信の表れか? じっくりと読んでみた。

【清武の乱】 僕は民主的だよ 感情とは別 「江川監督」もある 巨人は、オーナーに任せる 野球に口出すとろくなことにならん
【政治と報道】 社論実現のための助言は正義
【経済危機】 各新聞社と共同提言したい

 インタビューアーも歯に衣を着せずに、彼への世間の評判や取り沙汰されているゴタゴタへの質問を投げかけ、ナベツネも腹蔵なく語っているように思えた。どちらかと言えば評判の悪い人物だし、政界の黒幕、ドンとも揶揄されたりもしている人だが、考えてみれば発行部数第一位(*)の新聞社の「主筆」である。自社(主筆の意見に反対する社員はいないと本人が言っている。つまり、社論=ナベツネの意見 となる)の社論を、あらゆる手段を使い浸透・実現させようとするのは当たり前とも言える。仮に組織が決定した内容を「鶴の一声」で…… 確かにこれがまかり通っているのであれば、その組織は宜しくないし、彼が、「俺は民主的だ」と言っても、それはむなしい。だが、彼が何か罪を犯したか? 大連立の裏方? これは社論の実現手段としての工作であり、罪にはならない。
 「たかが選手」 今回のゴタゴタ…… 確かに、良く判っていない野球に口を出したための失策。余程の阿呆でない限り、今後、野球には口を出さないのではないか。多分……
著作権者(渡辺恒雄氏、朝日新聞社)の許諾を受けずにインタビュー記事を掲載している>
 インタビューを申し込んだ朝日新聞、それを受けた読売新聞主筆。両者にエールを送りたい。エッ? 読売新聞の購読? 絶対にありえない。
 ピンポーン 「読売新聞ですが、一ヶ月だけでも……」、「我が家はね、親父の代から朝日なの。それにナベツネが嫌いだし、アンチ・ジャイアンツなの」、「あ~、そうですか。失礼しました」

(*)発行部数を、多数決の結果とみれば、第一位、つまり一番支持されている新聞ということになるが、「天声人語」にこうあった。
「多数決は手続きであり結果の正しさは保証しない」